宅浪体験記
現役時代は慶應から日大まで全滅しました。辛かったですが、この結果を引きずることなく浪人生活をスタートしました。
浪人が始まり3月、4月は基礎固めなどを中心にやっていました。正直、毎日が退屈でした。
この時点で「このままだと、また失敗する」と思い、調べまくった結果「宅浪のお医者さん」を選択しました。今振り返ると、この選択をして本当に良かったです。
ところが5月に入り、私はやりたいことが見つかって「自分に受験は必要ないのではないのか」と思い、「受験を辞めます!」と塾長の山本さんに宣言しました。
その時、山本さんは反対することもなく、応援してくれました笑
この時は正直ほぼ勉強しませんでした。参考書をパラパラ見てました。
そこから7月くらいまでグズグズと親と進路について揉めて、結局受験はやめずにやり切るという選択をしました。山本さんには「慶應SFC目指せば?」と言われ、世界史が嫌いだったので(社会が不要な)SFCを第一志望に目指すことにしました。
8月に入り、記述模試が意外と良い結果だった気がします(偏差値60手前くらい?)
山本さんからの宿題(週間計画)をとりあえず完璧にし、それに加えて自分で色々勉強していましたが、わりと手ごたえがありました。
明確に結果が出てきたのが9月、過去問始めた頃です。
現役時代と比べて点数が爆上がりしてました。
ここでさらに山本さんは自己肯定感が上がる言葉を投げかけてくれるので、私は簡単に「よっしゃほなやるか〜」という考えになります。私の扱いをよく理解してもらえていたと思います。
そこから10月、11月は精神的に不安定になりながらの勉強でした。「さあ!やるか!」って思っても、「どうしても勉強むり、、、、」ってなってました。
12月になり、SFCの過去問で何回か7割(7割が合格ライン)を超えるなどがあり、お?意外といける???という手応えを密かに感じ、喜びの舞をしてました。去年の私では考えられません。
この時の1日の勉強としては英語8割、小論文2割という勉強でした。
1月、共通テストは受けなかったのでずっと過去問演習をしていました。
また、英語を強みにしたかったので『ポレポレ』と『英英英単語』と『パス単準一級』を永遠に回してました。この時には英単語マスターだったので山本さんより確実に英単語は理解してましたね。
2月、ついに本番です。試験慣れとして併願校から受けましたが、すべての学校で手応えが(ある程度)ありました。
併願校と慶應の間に一週間ほど空く期間があったので、そこで小論文を山本さんと詰めまくりました。
慶應本番では、小論文で得意分野が出て「ありがたや〜」ってにやけながら解きました。
結果、慶應義塾大学環境情報学部合格!!
浪人生活を振り返ると、何かやりたいことだったり目標があるだけで勉強への向き合い方が変わると思いました。
私の場合、浪人時代に突然やりたいことが見つかったので特殊ですが、やりたいと思う気持ちこそ合格への近道だなって思います。
また勉強時間に関しては、他の浪人生と比べて少なかったと思います。勉強は苦手だし、長く座ることが苦痛なので、いかに勉強時間を短くするかばかり考えていました。
そこで、山本さんと相談しながら「勉強だけをする」っていうことをやめました。
実際「勉強だけ」をしてた期間は3月、4月、12月〜2月です。自分のモチベーションを保つためなら遊びだってなんだってしました。
向き不向きは人によって違うので、自分なりに精神状態を保つことが合格の秘訣です。ここは個人差が大きいので、山本さんに頼り切りにならない方がいいです。
最後に、塾長の山本さんには色々と迷惑をかけることもありましたが、それ以上に感謝の気持ちを伝えて幸せな気持ちになってもらい、プラマイゼロにしたいと思います。本当にありがとうございました!
塾長より一言
Nさん、第一志望の慶応義塾大学 環境情報学部の合格おめでとうございます。
なんというか、Nさんは非常にユニークな生徒でした笑
4月に入塾してとんでもない勢いで勉強を始めたかと思えば、5月には「受験をやめます」ということで、ジェットコースターのような高低差でした。
僕は「受験は人生において必須ではない」と思っているタイプなので、その選択を尊重しました。
それでも、なんやかんやで受験勉強を再開し、そこからは良く頑張れていたと思います。予定通り9月に過去問を始め、結果が出てからは成長が加速しましたね。
Nさんの「自分なりに考えて勉強する」というところが合格の秘訣だと思います。僕の意見を決して鵜呑みにせず、自分の納得できることをやりきったところにNさんの素晴らしさがあります。
これからの人生でも「自分で考える」という強みを生かして、やりたいことを貫いていってくださいね。
改めて、第一志望の合格おめでとうございます!